大判例

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仙台地方裁判所 昭和52年(ワ)855号 判決

原告

小野善勝

小野かつゑ

小野善則

小野勝章

右法定代理人親権者父

小野善勝

同母

小野かつゑ

右原告ら訴訟代理人弁護士

清藤恭雄

鈴木宏一

被告

右代表者法務大臣

鈴木省吾

右訴訟代理人弁護士

伊藤直之

右指定代理人

真壁孝男

外四名

主文

一  被告は

1  原告小野善勝に対し金一一〇〇万円とこれに対する昭和四九年九月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、

2  原告小野かつゑに対し金二二〇万円とこれに対する昭和四九年九月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、

3  原告小野善則、同小野勝章に対し各金一一〇万円とこれに対する昭和四九年九月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らの被告に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は

(一) 原告小野善勝に対し金一億六八八四万五〇〇〇円とこれに対する昭和四九年九月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、

(二) 原告小野かつゑに対し金一一〇〇万円とこれに対する昭和四九年九月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、

(三) 原告小野善則、同小野勝章に対し各金三三〇万円とこれに対する昭和四九年九月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者及び関係人

原告小野善勝(以下「原告善勝」という。)と原告小野かつゑ(以下「原告かつゑ」という。)は夫婦であり、原告小野善則(以下「原告善則」という。)及び原告小野勝章(以下「原告勝章」という。)は原告善勝、かつゑ夫婦の子供である。

被告は、国立仙台病院を設置、経営し、後記本件手術に関与した赤林惇三、長谷川清の両名は、いずれも被告に雇用され、右病院の整形外科に勤務していた医師である。

2  診療の経過

(一) 原告善勝は、昭和四九年二月中旬頃背中から腰の筋肉が強く圧迫されたような痛みで、同年三月二〇日から約一週間塩釜の織田整形外科において治療を受けた。過労による筋肉痛という診断により一週間注射投薬を受けたが、その後軽快し、同年五月頃には痛みも消えた。しかし、同年八月一三日頃から両下肢に軽いしびれ、脱力感、その他足底部の温度感の鈍化、階段ののぼりおりがつらいという症状を覚えるようになり、これがなかなかおさまらなかつたため、同月二〇日国立仙台病院を訪れ、同病院整形外科医師土肥千里の診察を受けた。同医師の診察時、原告善勝の脊椎は軽度の円背を呈し(側彎はみられず)、傍脊椎筋の緊張はなく、脊椎の運動は良好であつたが、臍部以下に知覚鈍麻があり、筋萎縮はないが、膝蓋腱反射、アキレス腱反射はともに減弱し、腹筋反射、提筋反射もともに消失していたことから(なお、右診察時の同原告の血沈は一時間値一一ミリメートル、二時間値二四ミリメートルで、血液「ワ」氏反応は陰性であり、第四腰椎付近のエックス線写真上脊椎には異常がなく、椎間板の狭少も認められなかつた。)、同医師は一応脊髄腫瘍を疑つたが、レントゲン写真及び血液検査に別段異常が認められなかつたことから、日を改めてルンバール検査(脊髄腔から髄液を採取し、髄液圧を計測する。)をすることとし、原告善勝にその旨を伝えた。

(二) 原告善勝は、同月二三日同病院を訪れ、赤林惇三整形外科医長(以下「赤林医長」という。)によるルンバール検査を受けたが、髄液がわずか二、三滴排出したのみで髄液圧の計測も不能であつたため、同医長は脊髄造影検査(脊髄腔内に造影剤を注入して腔内を造影し、腔内外の病変を探索する。)等の諸検査の必要を感じ、同原告に入院したうえでの検査を勧めた。

(三) 同年九月二日、原告善勝は同病院に入院し、同病院整形外科医師長谷川清(以下「長谷川医師」という。)が同原告の主治医として担当することとなつたが、入院時の所見は初診時とほぼ同様で、臍部以下の知覚鈍麻は、触覚、痛覚、温覚のすべてにみられ、片足立ちがうまくできず、バビンスキー反射は陰性であつた。

(四) 同年九月六日、長谷川医師は原告善勝に対し、後頭下穿刺により造影剤(マイオジール)を脊柱管に注入して脊髄造影検査を実施したところ、第九、一〇胸椎間で椎間板の高さに造影剤の陰影欠損が認められたものの、造影剤の全面的遮断はみられず、髄液が完全に通過しない状態ではないことが確認されたため、同医師はその症状につき同原告に対し、胸椎の九番、一〇番部分に造影欠損があり、そこに腫瘍のようなものがみられる旨を説明した。

(五) 同月一一日、長谷川医師は二回目の脊髄造影検査を実施し、陰影欠損状況のエックス線写真撮影にも成功し、一回目の造影検査時と同様の所見を得た。

長谷川医師、赤林医長らは、右検査実施後、原告善勝の疾病を脊髄腫瘍疑と診断し、これに対する治療として椎弓切除法による腫瘍摘出手術を実施することに決定し、長谷川医師は同原告に対し、大略「胸椎部に腫瘍ができていて神経を圧迫しているので手術をして取り除く、手術をしないでそのままにしておけば、やがては歩けなくなる可能性もある、手術は危険なものではなく、手術後一ケ月間ギブスベッドに寝た後、二週間位機能回復訓練を行なえば、コルセットを付けたままではあるが、退院できるようになり、やがてコルセットもはずして正常に回復し、日常生活や仕事ももとどおりできるようになるから大丈夫である。」旨説明し、同月二三日に手術をする旨告げた。同原告は手術を受ければしびれや脱力感もなおるのだと思い、これに同意した。

(六) 同月一九日、長谷川医師は再度脊髄造影検査を実施し前回同様の所見を得、その際腹圧を加えて脊髄液の上昇反応をみたが、これも正常であつた。

(七) その後、手術の実施日は病院側の都合で同月三〇日に延期され、同月二四日長谷川医師は四回目の脊髄造影検査を実施し、陰影欠損状況のエックス線写真を撮影してこれまでと同様の欠損状況を確認した。なお、右四回の脊髄造影検査により、胸椎第九、一〇番の椎間板の高さの脊髄前方(腹部の方向)に腫瘍様の障害物が存することは判定できたが、これが脊髄硬膜の内側にあるのか外側にあるのかまでは判断できなかつた。

(八) ところで、入院後から後記本件手術時までの原告善勝の症状は、両下肢の軽いしびれ感や脱力感が従前同様継続していた以外には特段の変化がなく、排便や排尿も正常で、九月二一日に外泊の許可を受けて帰宅し、数キロメートル散歩しても疲労感その他の異常もなかつた。

3  原告善勝に対する手術の模様

昭和四九年九月三〇日、執刀者を赤林医長、第一助手佐藤幸一医師、第二助手長谷川医師のもとに、原告善勝に対する手術(以下「本件手術」という。)が次のとおり実施された。

(一) 赤林医長は、腹臥位(全身麻酔)の原告善勝の第八、九、一〇胸椎棘突起部を縦に皮膚切開して棘突起を露出し、第九胸椎を中心に、棘突起及び椎弓部から骨膜とともに周囲軟部組織を両側へ圧排し、開創器により棘突起及び椎弓部を見えるように開創した。

(二) 次に、第八、九胸椎棘突起及び第一〇胸椎棘突起の一部を棘突起切除鉗子により切除し、椎弓を丸のみ鉗子、鋭匙鉗子、ケリソン鉗子により切除し、更に黄靭帯、静脈叢、脂肪組織を排除して脊髄硬膜を露出した。同部位の硬膜は、部分的に黄色の色調が強く、肥厚がみられた。しかし、後部(背中の方向)脊髄硬膜外に腫瘍は認められなかつた。

(三) 次に、硬膜を切開し、硬膜に糸をかけて両側に引つ張り、硬膜内を見分した。硬膜内の脊髄表面の血管は怒張し、蛇行していたが(なお、後記被告の主張する脊髄の浮腫は、その存在が疑わしく、仮に存在したとしても、その程度は僅かなものであつたとみるべきである。)、脊髄後方(背中の方向)に腫瘍は存在しなかつた。

(四) そこで、赤林医長は神経鉤により脊髄を左側に移動させて硬膜内の脊髄前方を検査すると、硬膜外で、第九、一〇胸椎椎間板の高さに硬膜をかぶつたまま後方へ突出している小児小指頭大の膨隆がみられた。

同医長はこの膨隆部を切除すべくそこにメスを入れたところ、水様のものが飛び出した。続いて鋭匙鉗子で膨隆部と椎間板の一部を摘出し、これにより脊髄前方からの圧迫を除去し、他に脊髄周辺からの圧迫物が残存していないことを確認したうえ、硬膜、皮下組織を各縫合し、創部を閉じた。なお、右摘出した組織を病理検査したところ、原告善勝の椎間板髄核はかなり粘液浮腫にみえるが、変性というよりはもともとこのような型とみるべきものであり、椎間板ヘルニアといつていい状態であるとの病理診断が下された。

4  本件手術後の経過

原告善勝は、本件手術直後から腰部及び両下肢に全麻痺をきたし、臍部以下は両下肢全体を含めて全く感覚がなくなり、一〇月二日の夕方からは尿の自排が、また翌三日からは便の自排も不能となつた。そして、右症状は今日まで一向に軽快することなく継続し、臍部より両下肢は完全に麻痺し、自動運動は全く不能で、しびれ、痙れん、疼痛等の知覚障害も顕著であり、また膀胱直腸障害のため排尿は常時カテーテルによる導尿であり、排便には浣腸をもちい、臀部には褥瘡も発生している。更に股関節部の骨化性筋炎のため化骨ができ、それが大きくなるので時々これを削り取る手術を必要としている。なお、これらの症状は、後記のとおり本件手術による脊髄損傷(中枢神経障害)を主因とするもので、回復不能である。

5  原告善勝の現在の症状と本件手術との因果関係

原告善勝は本件手術を受ける当日まで、両下肢に軽いしびれ感、脱力感等の症状を呈していたにすぎないところ、本件手術直後から下半身に全麻痺をきたし、それが現在まで後遺しているものであるから、同原告の前記各身体障害は、いずれも本件手術時において赤林医長らが原告善勝の脊髄を侵襲し損傷したことによつて生じたものであることは疑いがない。

6  被告の責任

(一) 債務不履行

原告善勝と被告(国立仙台病院、以下同じ。)は、昭和四九年八月二〇日もしくは九月一一日、被告が同原告の症状の医学的解明とそれに対する適切妥当な治療行為をなし、同原告がその対価として診療報酬を被告に支払う旨の準委任契約を締結したから、被告は同契約に基づき、医学の水準に準拠した高度の知識と技術とをもつて同原告の病状を正確に診断し、かつそれに対応した適切な治療行為をなすべき高度の注意義務を負つていたものである。ところが、被告の履行補助者である赤林医長及び長谷川医師は次のとおり医師としての最善を尽くさず、同原告に脊髄損傷の傷害を負わせたものであるから、被告は、これにより発生した原告善勝の損害を賠償すべき義務がある。

① 診断上の過誤

原告善勝の疾病が本件手術により胸部椎間板ヘルニアと判明したことは前記のとおりであるが、このことは、手術前に脊髄造影検査、ディスコグラフィー(椎間板造影)、硬膜外造影等の各種検査を適切に行なうことにより充分診断できたものである。そして、右疾病は、特殊な場合を除き、椎弓切除法等の危険な摘出手術を行なわずに、理学療法等の治療方法によつてその回復をはかるのが原則とされているところ、同原告の本件手術前の神経症状等は軽度のものであつたから、これが椎間板ヘルニアと診断されていれば、当然薬物療法や理学療法を施しつつ経過を観察し、危険な本件手術を回避すべき筈のものであつた。

ところが、赤林医長及び長谷川医師は、脊髄造影検査等により知見した同原告の脊髄圧迫物について、それが椎間板ヘルニアである可能性を全く疑うこともないまま安易にこれを脊髄腫瘍(疑)と誤診し、本件手術を施行し、原告善勝の脊髄を損傷した過失がある。

② 手術方法選択上の過誤

本件手術前の検査により、原告善勝の脊髄圧迫物は、第九、一〇胸椎部の脊髄前方に位置することが確認されたのであるから、赤林医長及び長谷川医師としては、これを摘出、除去するための手術としては脊髄への侵襲、損傷を避けるために、前方もしくは前外側方あるいは後外側方から当該胸椎部の椎体を切除し、脊髄圧迫物を摘出するという方法をとるべき義務があつた。しかるに、両医師はこれを怠り、脊髄を圧迫し損傷する危険の大きい後方からの侵入による椎弓切除法を選択施行し原告善勝の脊髄を損傷したもので、この点に過失がある。

③ 手術中止義務の懈怠

胸椎部の椎間板ヘルニアの摘出手術において、手術中脊髄に何らかの変性が認められたときには、脊髄圧迫物の摘出が容易である場合を除いて、それ以上の手術は中止すべきである。これを無理に強行すると、脊髄に更に致命的な損傷を与え、回復不能な完全麻痺を発生させる危険が大きいからである。本件手術において原告善勝の脊髄硬膜を露出した際、硬膜は肥厚しているような感じで部分的に黄色を呈しており、硬膜を切開したときもその脊髄表面の血管が怒張し、蛇行しているという変性が認められたのであるから、赤林医長らとしては、それ以上の手術を中止すべき義務があつたのに、更に手術を続行し、また硬膜を切開し、脊髄及びその周辺を検索しても脊髄硬膜内外のいずれにも腫瘍を発見できなかつたのであるから、その段階で、より一層椎間板ヘルニアの蓋然性を考え、他方、それ以上の手術を強行し、脊髄圧迫物の摘出に固執すると、脊髄に致命的な損傷を与えることを考慮して、本件手術を中止すべき義務があつたのに、更に手術を続行し、原告善勝の脊髄を損傷した過失がある。

④ 手術操作上の過誤

本件手術を施行するにあたり、赤林医長及び長谷川医師には、本件手術中の手術操作によつて原告善勝の脊髄を損傷しないように注意すべき義務のあつたところ、同原告の脊髄硬膜を切開し、脊髄前方を検索する際に脊髄を神経鉤で不用意に左側に圧排、移動したため脊髄を侵襲した過失、もしくは椎弓を切除する際不用意に鋭匙鉗子等を椎間板の下に挿入し脊髄を挾撃、侵襲した過失、ないしは椎弓の切除範囲が狭く術野の確保が不充分であつたため、本件手術中のいずれかの段階で鋭匙鉗子、メス等で脊髄を不用意に侵襲した過失のいずれかにより、原告善勝の脊髄を損傷した。

⑤ 説明義務違反

本件手術は脊髄損傷の虞れを伴う危険なものであつたから、赤林医長及び長谷川医師としては、本件手術の内容及びそれに伴う危険性について正確適正な説明を行ない、本件手術を受けるか否かについて原告善勝の真正な承諾を得たうえで本件手術を施行すべき義務があるのに、これを怠り、同原告に本件手術によつて疾病は完全に治療することのみを強調し、手術には全く心配がないかのように説明し、同原告の真正な承諾を得ないまま、本件手術を施行した過失があり、また、赤林医長は、本件手術により後方から椎弓を切除して侵入し、脊髄及びその周辺を検索しても腫瘍を認めることができなかつた段階で、それ以上の手術を行うとすれば、そこで一旦中止し、その先の手術の内容とそれに伴う重大な危険性を改めて同原告に充分説明し、その承諾を得たうえで手術を続行すべき義務があるのに、これらの説明を行なわず、同原告の承諾を得ないまま本件手術を続行した過失がある。

(二) 不法行為

前記のとおり、被告は国立仙台病院を設置、経営し、赤林医長及び長谷川医師を雇用していたところ、原告善勝の診療にあたつた右両医師は診療行為にあたる医師として当然要求される前記(一)の①ないし⑤の注意義務に違反した過失により原告善勝に前記傷害を負わせたものであり、右両名の不法行為はその職務として被告の事業の執行につきなされたものであるから、被告は国家賠償法一条一項、もしくは民法七一五条により右両名が原告らに加えた損害を賠償すべき義務がある。

7  損 害

(一) 原告善勝の損害

(1) 逸失利益 金一億二四七一万一〇〇〇円

本件手術後の原告善勝の症状は4に記載のとおりであり、これは後遺障害別等級表(自動車損害賠償保障法施行令二条別表)の第一級第八号に該当し、労働能力喪失率は一〇〇パーセントである。

本件手術当時、原告善勝は満三五歳(昭和一四年七月二日生)であり、株式会社丸新水産専務取締役の報酬として月額一七万円を得ていた。同会社の実績は毎年確実に伸びており、専務取締役の報酬は毎年一〇パーセント以上上昇する。同会社には停年退職制度がないので、原告善勝は就労可能な満六七歳(昭和八一年六月)まで専務取締役として勤務することが可能である。よつて、原告善勝の昭和四九年一〇月一日から同八一年六月三〇日までの間の逸失利益の現価額は別紙逸失利益計算表のとおりとなる(なお、前述したように、役員報酬の上昇率は毎年一〇パーセント以上であるが、右計算表においては、上昇率を控え目に計算して、昭和五〇年から同五二年までは毎年一〇パーセントとし、同五三年以降同八一年までは毎年七パーセントとし、現価計算は年五分の割合によるホフマン方式を用いた。)。

(2) 付添費 金二三〇〇万四〇〇〇円

原告善勝は他人の看護なしに日常生活を営むことは不可能となり、生涯付添看護を必要とすることになつた。同原告の生年月日は昭和一四年七月二日であるが、同四九年九月三〇日当時の平均余命は昭和四九年簡易生命表によれば三九年である。

原告かつゑは本件手術以来原告善勝の付添看護を行なつているが、同人の付添看護費用及び将来の同費用は一ケ月金九万円とするのが相当である。

(3) 慰藉料 金一五〇〇万円

(4) 弁護士費用 金八〇〇万円

(5) 損益相殺 金一八七万円

(6) 総額 金一億六八八四万五〇〇〇円

(二) 原告かつゑの損害

(1) 慰藉料 金一〇〇〇万円

(2) 弁護士費用 金一〇〇万円

(三) 原告善則、同勝章の損害

(1) 慰藉料 各金三〇〇万円

(2) 弁護士費用 各金三〇万円

8  よつて、被告に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償として、原告善勝は、金一億六八八四万五〇〇〇円、原告かつゑは金一一〇〇万円、原告善則、同勝章は各金三三〇万円及び右の各金員に対する本件手術の日である昭和四九年九月三〇日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2の(一)は、原告善勝の国立仙台病院に来院するまでの自覚症状の内容については不和、その余は認める。

同2の(二)ないし(四)は認める。

同2の(五)の前段は全部認めるが、後段は長谷川医師の原告善勝に対する説明内容部分を除いて認める。同医師が同原告に対し説明した内容のうち、「胸椎部の腫瘍のようなものが神経を圧迫しているので手術をして取り除きたい、手術をしないでこのままにしておくとやがて歩けなくなる、手術後一ケ月位ギブスベッドを用いた後二週間位機能回復訓錬を行なえばコルセットをつけたままではあるか、退院することができるであろう。」旨話したことは認めるが、その余は否認する。特に、「右手術は危険なものではなく」と説明したとの部分は、すべての手術は危険を伴うものであり、医師が右の如き説明をすることはありえない。

同2の(六)、(七)は認める。

同2の(八)は、原告善勝が外泊の許可を受けたことは認め、その余は否認する。原告善勝の本件手術時までの症状は、全身状態は良好であつたものの、臍部以下のしびれ感、脱力感、排尿排便障害(残尿残便感)が増悪し、歩行障害の増強もみられ、また九月一八日の検査では膀胱炎を疑わせる結果もでていたことから、病状は比較的急速に増悪しつつあることが推測された。

3  同3の冒頭部分及び(一)は認める。

同3の(二)は認める。但し、脊髄硬膜の肥厚は顕著にみられた。

同8の(三)は脊髄の浮腫の存在に関する部分は否認し、その余は認める。脊髄表面の血管は強度に怒張、蛇行しており、脊髄自身も浮腫状にみえた。

同3の(四)の前段は認めるが、後段は否認する。赤林医長は長谷川医師らと第九、一〇胸椎椎弓切除術を行なつた。第八、九、一〇胸椎棘突起部に縦に皮膚切開をし、棘突起を露出、標識として刺入した鋼線を確かめ、第九胸椎棘突起を中心にして、棘突起ならびに椎弓部から骨膜とともに周囲軟部組織を両側へ圧排し、開創器により棘突起ならびに椎弓部が充分に見えるように開創した。ついで第八、九胸椎棘突起及び第一〇胸椎棘突起の一部を棘突起切除鉗子により切除、椎弓を丸のみ鉗子、鋭匙鉗子により切除し、更に黄靭帯等を切除して脊髄硬膜を露出した。同部位の硬膜は部分的に黄色を呈し、また肥厚が著明にみられた。しかし、後部脊髄硬膜外には腫瘍はみられなかつた。硬膜を切開して脊髄をみると、脊髄表面の血管は強度に怒張し蛇行しており、脊髄自身も浮腫状にみえたが、外見上腫瘍の存在は認められなかつた。更に神経鉤により脊髄を左側に移動させて脊髄前方を検査すると、硬膜外で第九、一〇胸椎椎間板の高さに後方への小児小指頭大の膨隆がみられ、明らかに脊髄を前方から後方へ圧迫しているものと考えられた。これは脊髄造影の所見と一致するものであり、これを切除すべく同部にメスを入れたところ、同部から水様のものが流出し、流出後もなお膨隆部は平らにならなかつたので、椎間板ヘルニアを疑いながら膨隆物とともに椎間板の一部を掻爬し、前方よりの圧迫を除去した。赤林医長は、これにより脊髄周囲よりの圧迫物が残存していないことを確かめ、以下硬膜の縫合、皮下組織の縫合を行ない、創を閉鎖した。この間脊髄に損傷を与えたことはない。椎弓切除術による脊髄及び周辺の検索の結果、脊髄造影によつて発見された陰影欠損部に一致した椎間板ヘルニア様の膨隆部は切除でき、脊髄への圧迫物は除去できたが、脊髄自身への侵襲は最小限にとどめねばならず、手術によるこれ以上の検索は不可能であり、脊髄自身の変化も明らかに認められたが、その病変の程度等は手術後の経過観察により漸次明らかになるであろうと考えて以後の経過を見守ることとした。

なお、その際赤林医長は、膨隆物が椎間板ヘルニアであるとすれば、その内容は変性におちいつた椎間板でなければならないのに水様の液であつたことから、右膨隆物は椎間板ヘルニアではなく、嚢腫様のものかと考えたが、椎間板の病変によることも考慮にいれ、膨隆物の基部から更に深部(前方)の椎間板の一部を採取した。そしてこれを病理組織的検査したところ、その結果は、変性の認められない正常な椎間板であり、右所見からは椎間板ヘルニアと断定できなかつたことから、手術所見とあわせ考え、原告善勝の疾病は椎間板ヘルニアではなかつたものと判断された。

4  同4については、本件手術後の原告善勝の病状の回復状況について争い、現在の同原告の症状については知らない。

原告善勝は本件手術直後、臍部以下に弛緩性の麻痺を生じ(知覚麻痺も手術前と同様臍部以下にあつた。)、両下腿の腱反射の消失、両下肢の自動運動不能、膀胱直腸麻痺(尿は導尿により排出)がみられたが、昭和四九年一〇月一七日には膀胱直腸麻痺はある程度回復して留置カテーテルの抜去とともに自排尿、自排便が可能となつた。またその他にも本件手術後約一ケ月の間徐々に知覚消失の改善、腸腰筋、大腿四頭筋等の筋力回復がみられ、更に腱反射も出現する(腱反射の出現は脊髄周辺よりの圧迫による脊髄変化が軽減され、圧迫状態が改善されてきたことを示す最大の指標である。)等一定の回復傾向を示していたものである。もし、手術時に術者が脊髄自身に直接侵害を加えてこれを損傷したとすれば、このような麻痺回復の経過をたどることは考えられないものである。

ただ、その後(昭和四九年一一月中旬以降)右のような麻痺の回復傾向がみられなくなつたけれども、これはむしろ、脊髄造影欠損としてあらわれた圧迫物の除去にもかかわらず、脊髄自身に病変があり、それが非回復性、進行性のものであることを推測させるものである。

5  同5については、原告善勝に後遺するとされる傷害が本件手術を直接の原因とする原告らの主張は争う。

一般に脊髄部の手術においては、手術後、手術による脊髄周辺の出血や浮腫のため麻痺の一時的増強がみられることは少なくないが、これらの麻痺は、その原因となつた出血や浮腫の消失に伴い、徐々に改善をみるのが通例である。

しかし、患者の脊髄自体に病的変化があり、それが進行性のものであるときは、術者がいかに愛護的処置に慎重を期して手術を施行しても、脊髄自身の病的変化が関与して、通常の脊髄手術では可逆性である麻痺部分が非可逆性の麻痺にまで進行することも充分に考えられることである。原告善勝の本件手術後の麻痺の回復傾向の停止には本件手術中に認められた後部硬膜及び脊髄表面の病的変化が大きく関与しているものと考えられる。即ち、本件手術の際原告善勝に認められた硬膜の肥厚や脊髄表面の血管の怒張、浮腫は、椎間板ヘルニアや脊髄腫瘍などに随伴してみられるものではなく、脊髄自身に循環障害などの変化が起こつていることを表すものであり、脊髄が正常な状態ではなく、いわば病的に弱つたあるいは何らかの病変が進行している異常な状態を示しているものであつて、後記のとおり本件手術における赤林医長らの処置には何ら欠けるところがないから、本件手術後の麻痺の一時的な増強に本件手術が関与しているとしても、その後の麻痺の非回復傾向は、同原告の脊髄自身の病的変化に起因するものと考えられる。したがつて、同原告の現在の症状が本件手術を直接の原因とする原告らの主張は到底是認しえない。

6  同6はすべて争う。

(一) 「診断上の過誤」との主張に対する反論

一般に脊髄腫瘍(疑)という病名は、脊髄自身の腫瘍は勿論のこと、椎間板ヘルニアをも含め何らかの原因による脊髄麻痺がみられた場合に最初の病名として用いられるのが通例であり、臨床上脊髄等に変化がなく、一定部位に脊髄麻痺を呈し進行性の場合、まず脊髄腫瘍を疑い諸種の検査をすすめ、とくに造影による明らかな造影欠損の所見が認められるときは、その疑いを濃厚にするのが医学上の常識である。勿論脊髄腫瘍という確定判断は手術によつて腫瘍を摘出し、更に組織学的に検討を加えなければ最終的に確定しない。赤林医長及び長谷川医師は、原告善勝の初診時及び入院時の各所見から臨床的に脊髄腫瘍を疑い、ケッケンシュテット試験を施行した後、腫瘍の存否を判断するにあたつて最も重要な検査方法である脊髄造影検査を実施し、いずれの場合にも同一の部位に同一の明らかな陰影欠損を認め(したがつて、原告ら主張のような脊髄動脈撮影や椎間板造影の必要は認められなかつた。)、しかも原告善勝の症状は臨床所見、本人の訴え等から悪性腫瘍とは考えなかつたものの比較的急速に増悪していると判断されたことから本件手術を決定した。脊髄造影検査に明らかな所見があり、症状(麻痺状態)が進行性である場合、少なくともその陰影欠損は脊髄麻痺に関与しているものと推定され、これをそのまま放置していかなる保存的療法(理学療法や薬物療法)を施しても、腫瘍の種類によつては麻痺が進行することは明らかであり、ついには非回復性の病変となる可能性が大きい。したがって、この場合、脊髄の病変ができるだけ進行しないうちに手術を行うことが必要かつ適切とされているのであつて、赤林医長らが本件手術を施行したことに何ら過失はない。

(二) 「手術方法選択上の過誤」との主張に対する反論

脊髄腫瘍疑に対する手術方法としては、後方からの椎弓切除法が医学上広く認められ、一般に行なわれている方法である。これにより後部硬膜、脊髄の病態を知りうるし、椎弓の切除を広く行なうことにより脊髄に影響を与えることなく脊髄を排して前方硬膜まで観察することができるからである。手術中、原告ら主張のような圧迫を脊髄に加えたことはない。もし仮に前方からの手術方法をとつたとすれば、脊髄の観察は全く不可能であり、原告善勝の脊髄に現れていた変化を見逃していたことも確実である。

(三) 「手術中止義務の懈怠」との主張に対する反論

赤林医長は、原告善勝の脊髄硬膜内に腫瘍が存在するか否かを確認するため、脊髄を排して脊髄前方を観察し、その時点で脊髄前方に硬膜をかぶつたまま後方に突出している腫瘍(疑)を発見したため、これを除去すべく手術を続けたものであり、この点に過失はない。

(四) 「手術操作上の過誤」との主張に対する反論

赤林医長は、椎弓の切除にあたり、脊髄を排しても脊髄に影響を与えることのないよう広くこれを切除し、脊髄に不当な影響を与えることのないよう慎重を期して処置しており、その他本件手術操作において原告らの主張するような過失はない。

(五) 「説明義務違反」との主張に対する反論

長谷川医師は、本件手術前、原告善勝及び家族に対し「小野さんは脊髄腫瘍の可能性が強い。このまま放つておくと段々悪くなり神経症状が悪化して知覚障害や運動麻痺が一層亢進し更に強い下半身麻痺に陥ることになるでしよう。脊髄腫瘍疑を除去する手術をする必要があると思います。順調にいつた場合数ケ月の安静と機能訓練によりもとに近い状態になれると思います。」と説明し、同原告らからその腫瘍が悪性のものか否かの質問に対しても「良性の可能性が強いと思います。」と答えており、充分な説明を尽くしている。

7  同7はすべて争う。

三  因果関係に関する被告の主張に対する原告らの反論

本件手術当時既に原告善勝の脊髄自身に病変をきたしていたとの被告の主張のうち、脊髄が浮腫状にみえたとの部分は、手術所見を記載したカルテに全く記載のない事柄であつてその存在は疑わしく、仮に存在していたとしても、脊髄表面の血管が怒張していたため一見脊髄自身も浮腫状にみえたにすぎないと思われる。そして、脊髄表面の血管が怒張、蛇行していたのは、第九、一〇胸椎椎間板ヘルニアの圧迫による血液の循環障害が原因となつていたと認められ、本件手術によつて右ヘルニアが除去されたことから、血管の怒張、蛇行も当然に消失した筈である。

また、術後の原告善勝の一時的回復傾向については、その主張する知覚、筋力の回復などは全く存在していないのであり、ほとんどゼロに近い知覚、筋力を希望的な観察により回復傾向があるかのごとくに主観的、恣意的に理解したものにすぎない。排尿、排便については、外力による下腹部圧迫によりようやく小量の尿や便が出るといつた程度で、およそ自排などといえるものではなかつたし、腱反射の出現も、脊髄の手術部分が瘢痕化し、本件脊髄損傷による障害が固定するまでの間の一時的な過程として出現した徴候であつて、何ら回復傾向を示すものではない。むしろ、右腱反射は、他の知覚、筋力の回復を伴わずに出現したことからして弛緩性麻痺から痙直性麻痺に移行する過程で一過性的に現われた病的徴候の一つとみるべきものである。

そもそも、一般的に本件のような脊髄部の手術においては、手術に伴う脊髄周辺の出血や、手術後にできる一時的浮腫により軽度の神経症状が認められることがあるが、それは一過性のものであつて、その大部分は一週間位で回復し、遅くとも一ケ月で完全に回復する。原告善勝の障害が手術に伴い通常生するダメージであるならば、術後一週間ないし一ケ月で消滅する筈であり、かつ下半身の知覚神経及び運動神経等が完全に麻痺するということはありえない。本件手術前には椎間板ヘルニアによる障害と思われる軽度のしびれ感、脱力感等の症状を呈していたにすぎない原告善勝が、本件手術の直後にはその手術部位以下の下半身が完全麻痺となり、その後全く回復していないのであつて、右麻痺が本件手術の術者による脊髄への直接侵襲によつて脊髄を損傷された結果であることはあまりにも明らかである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(当事者及び関係人)の事実は当事者間に争いがない。

二請求原因2(診療の経過)の事実については、原告善勝に昭和四九年二月中旬頃に現れて消失した症状とその後同年八月一三日頃から両下肢に軽いしびれ、脱力感、その他足底部の温度感の鈍化、階段ののぼりおりがつらいといつた自覚症状がでてきたとの事実、長谷川医師による同原告への本件手術に関する説明内容及び同原告の入院後の症状の経過を除いて当事者間に争いのないところ、右争いのない事実、〈証拠〉によると、原告善勝には、昭和四九年八月一三日頃から前記自覚症状が現れ、土肥千里医師に診察を受けた際も同医師にその旨を告げていたことが認められ、その後同原告は、原告ら主張のとおりの経過で国立仙台病院に入院し、長谷川医師による諸検査を経て、本件手術を受けることとなつたのであるが、右各証拠に、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第二、三号証、証人長谷川清、同赤林惇三の各証言を総合すると、同原告の入院後から本件手術日までの症状は、両下肢以下のしびれ感及び知覚鈍麻が同年九月九日頃までやや増強しているとの訴えが同原告からなされ、同月一八日の検査により膀胱炎の所見が認められたほかは格別の変化がなかつたことが認められる。この点について、右長谷川及び赤林の各証言中には、長谷川医師及び赤林医長は、それぞれ同原告の症状が次第に悪化しているとの印象をもつていた旨の供述部分があるが、同原告自身は病状が進行しているとは感じていなかつたこと(原告善勝の本人尋問の結果)、実際、同原告には九月一四日から一六日にかけてと同月二一日から二三日にかけての二回にわたり外泊が許可され、また九月一〇日及び二八日には外出が許可されていたこと(乙第三号証、長谷川証言)、検査の結果認められた膀胱炎についても何らの処置がとられていないこと(長谷川証言)、同原告の看護日誌(乙第三号証)にも九月一〇日以降については病状の悪化を窺わせる記載のないことに照らすと、長谷川医師及び赤林医長の同原告の病状の変化に対して抱いた印象がどの程度の客観的な事実に裏打ちされていたものかについて疑問が残るし、そもそも、これらの点に関して本来最も有力な証拠となるべきカルテが被告から提出されていない本件においては(右長谷川及び赤林証言によれば、長谷川医師によつて作成された筈の原告善勝の入院後から本件手術当日までのカルテが紛失していることが認められる。)、他の客観的資料による裏付けのない限り、担当医師の証言をそのまま採用すること自体相当でないから、右各証言はいずれも排斥せざるをえない。

なお、〈証拠〉によれば、胸椎部の椎間板ヘルニアは、胸椎の構築学的特徴からその発症をみるのは比較的稀で、本件手術当時における本邦の報告例も二〇件程度にすぎなかつたところ、国立仙台病院整形外科医局では、原告善勝の臨床症状及び各検査結果を総合した判断として、同原告の胸椎第九、一〇番の椎間板の高さにある障害物はおそらく腫瘍であろうとの意見が大勢を占め、椎間板ヘルニアの可能性については特段に検討されていなかつたことが認められる。

三請求原因3(本件手術の模様)の事実については、赤林医長らが原告善勝の第九、一〇胸椎間の椎間板の高さの脊髄前方(脊髄硬膜の内側か外側かは不明)におそらく腫瘍であろう障害物があるとの診断のもとに、昭和四九年九月三〇日、執刀者を赤林医長とし、第一助手を佐藤幸一医師、第二助手を長谷川医師として、原告善勝の椎弓切除、腫瘍摘出を目的とする本件手術を施行したこと、右手術において、執刀者の赤林医長は、まず腹臥位の同原告の第八、九、一〇胸椎棘突起部を縦に皮膚切開して棘突起を露出させ、第九胸椎を中心にして棘突起及び椎弓部から骨膜とともに周囲軟部組織を両側へ圧排し、開創器により棘突起及び椎弓部を充分見えるように開創し、次いで、第八、九胸椎棘突起及び第一〇胸椎棘突起の一部を棘突起切除鉗子により切除し、椎弓を丸のみ鉗子、鋭匙鉗子、ケリソン鉗子により切除し、更に黄靱帯、静脈叢、脂肪組織を排除して脊髄硬膜を露出したことについては当事者間に争いのないところ、その後の手術の模様については、前掲乙第二号証及び証人長谷川清の証言によれば、次のとおり認めることができる。

1  右露出した硬膜を見分すると、部分的に黄色で、肥厚しており、次いで赤林医長が右硬膜を切開して硬膜内をみると、脊髄表面の血管も怒張し、蛇行していたが、脊髄軟膜ごと神経鉤で脊髄を左側に寄せて硬膜内の脊髄前方を見分したところ、術前の脊髄造影検査により得られた所見と一致する胸椎第九、一〇番の椎間板の高さのほぼ正中部に、硬膜をかぶつたまま後方(背中側)へ突出し脊髄を圧迫している小児小指頭大の膨隆を発見した。

2  そこで今度は、神経鉤で脊髄硬膜ごと脊髄を左側に寄せ右膨隆物を検査すると、右膨隆物は突出した椎間板で形成されていること、即ち、ヘルニア症状を呈していることが確認されたが、赤林医長は、更に右膨隆物にメスを入れると同所から透明な水様物が飛散した。

3  しかし、その後も右膨隆物の底の方はなお膨隆し脊髄を圧迫していたため、椎間板を摘む鉗子で右椎間板の膨隆部(ヘルニア)を摘出し、膨隆物の完全除去を確認したうえ、脊髄硬膜、皮下組織を各縫合して創を閉じた。

4  右摘出した椎間板はそのまま病理検査に回され、その結果、摘出物には骨及び軟骨に混じり髄核がみられ、ヘルニアといつていい状態である旨の所見及び診断が下された。

以上のとおり認められる。

右認定事実は、本件手術に第二助手として関与した長谷川医師の証言及び同人作成のカルテ(手術記録)等に基づくものであることは摘示した証拠のとおりであるが、本件手術の執刀医たる赤林医長は右認定とはかなり異なる内容の証言をしている。即ち、同人の証言中には、原告善勝の脊髄硬膜を切開して脊髄前方の正中部に硬膜をかぶつたまま後方へ突出している膨隆物を発見した際(前記認定1の事実)、そのまま硬膜のうえから膨隆物にメスを入れる処置を施こしたこと、するとそこから水様物が飛び出してきたが、右膨隆物は依然膨隆状態であつたこと、そこで右メスを入れた箇所から膨隆物内にゾンデを挿入して内部を探つたところ、実質性のものは何もなかつたこと、そのため右嚢腫様状の膨隆物の生成には椎間板の病変が関係しているのではないかとの疑いを抱き、病理検査の目的で右メスを入れた箇所から鋭匙で椎間板の一部を摘出し、その後、膨隆物に硬膜の上から圧迫を加えて膨隆状態を除去し創を閉じたこと、以上の供述部分があり、したがつて右膨隆物もヘルニアではなく、嚢腫様のものとみるべきである旨を証言している。

このように、長谷川医師と赤林医長との証言内容は、原告善勝の脊髄硬膜前方に存した膨隆物の性状についての認識及びその除去方法といつた本件手術の中心的な事項については全く異なるものとなつており、このような相違が何から生じているのかはにわかに断定し難いが、長谷川医師の証言は、本件手術後同人によつて作成された本件手術記録の記載内容と一致しており(右長谷川証言により本件手術終了後間もなく同人によつて作成されたと認められる手術記録及び術後三日目(一〇月三日)に同人により作成されたと認められる手術所見中には、原告善勝の胸椎第九、一〇番間の椎間板が後方に突出していたこと、その処置として脊髄硬膜ごと脊髄を圧排して突出した椎間板をかき出したこと、本件手術前脊髄腫瘍の臨床診断であつたものが、手術後の診断として椎間板ヘルニアに変更されたことが明記され、同証言により、同医師が昭和五〇年七月国立仙台病院を退職するにあたり後任医師宛に作成したと認められる引継メモ中にも、本件手術によりヘルニアを除去した旨明記されていることが認められる。)、また同人の証言内容において、その証言にかかる事項につき同人が誤つた観察をしたとの疑いを抱かせる余地もほとんどなく、むしろ同人の本件手術における役割を考慮すれば、より第三者的な証言を期待しうるものともいえることに鑑みると、長谷川医師の証言に、一層多くの信憑性を認めざるをえないものがあり、本件手術の模様については前記のとおり認定するのが相当である(なお、前記赤林証言中には、原告善勝の脊髄硬膜を切開した際、同原告の脊髄表面の血管が浮腫状になつていると感じた旨の証言があるが、前記の本件手術記録には、血管の怒張、蛇行の存在が記載されているのみで浮腫に関する記述がなく、前記長谷川証言中にも浮腫の存在を確認したとまでの供述がないことに照らすと、浮腫の存在については、鮮明に認識された血管の怒張、蛇行により浮腫状にもなつていると感じた程度のものと認めるのが相当である。)。

四請求原因4(本件手術後の経過)について

〈証拠〉を総合すると、原告善勝は、本件手術終了直後から臍部以下両下肢に完全麻痺症状をきたし、知覚、運動能力を完全に喪失し、膀胱、直腸にも障害をきたしたこと、その後同原告は昭和五〇年一二月八日まで国立仙台病院において治療を受けたが、その間手術後約一ケ月程の期間に両腸腰筋、大腿二頭筋、大腿直筋、股関節の外転、内転等の運動能力にごくわずかな回復をみ、両下肢の知覚能力についても若干の回復がみられた程度で、全麻痺状態は継続し、その後はほとんど症状の好転もみないまま両下肢の麻痺も弛緩性のものから次第に痙性麻痺へと移行し、自力による排便排尿の不能な状態が継続したこと、同原告は昭和五〇年一二月八日東北労災病院に転入院し、臍部以下の治療及び機能回復訓練に努めたが、さしたる好転はみられず、昭和五二年八月三一日同病院を退院し、それ以後同病院に通院しながら自宅での療養を継続しているが、両下肢の痙性麻痺及び知覚障害が顕著に後遺しており、自動運動は全く不能で(歩行、立位及び座位はいずれも不能)、その機能は全廃状態にあること、また自力での排尿、排便も不能で、これらの障害の程度は、身体障害者福祉法別表(8)障害の第一級に該当するものであること、そして右各障害は、同原告の脊髄が現在損傷状態にあることを示しており、その回復は見込めないことの各事実が認められ、これらの事実を覆すに足りる証拠はない。

五請求原因5(原告善勝の脊髄損傷と本件手術との因果関係)について

これまでの認定事実と鑑定人平林冽の鑑定の結果を総合すると、原告善勝の現在の両下肢の全麻痺を中心とする脊髄損傷は、本件手術における手術操作、なかんずく、同原告の第九、一〇胸椎間の膨隆部(ヘルニア)を摘出する際、同原告の脊髄に非回復性の侵襲が加えられたことによるものと認めるのが相当である。

この点につき、被告は、前記のとおり、本件手術後の原告善勝の麻痺の増強は、脊髄部の手術後一般的にみられる症状であり、徐々に改善をみる筈の右症状が本来の回復をみなかつたのは、手術時既に同原告の脊髄に病変が生じており、これが大きく関与したものである旨主張し、証人赤林惇三も被告代理人の質問に対し、脊髄部手術後の一時的な麻痺発生に関して、

「これは脊髄と言いますと非常に難しいんですが、首と言いますか、頸椎、胸椎、腰椎なんてありますけれども、それは場所によつても違つて来るとは思うんですけれども、一般的に脊髄の手術と言いますと、椎弓切除をして脊髄をある程度いじると言いますか触らなければいけないような手術、そしてその脊髄にもし腫瘍があればそれを取る手術、そういうふうな手術の場合についてちよつと申し上げますと、手術そのものの侵襲が相当大きいことは大きいわけです、普通にやつても、と言うのは一つは脊髄をどうしてもある程度触る、そうしなければいけないということ、もう一つは、椎弓切除と言いますと、要するに骨を削るわけですから出血の問題があるわけです。普通骨からの出血というのはなかなか止め難いと言いますか、手術後も必ず骨からの出血というのはある程度覚悟しなければならないということになるわけです。したがつて、手術後どうしても脊髄に対するいろんな圧迫症状、脊髄を圧迫するためのいろんな症状が出るわけです。その症状と言いますのは、これも勿論程度はあるわけですが、一時的にすつかり麻痺してしまうと言いますか、麻痺の状態になつてしまうという場合が勿論あるわけです。それからその麻痺の状態も勿論程度があるわけなんですけれども、すつかり麻痺してしまう場合、それから非常に動きが悪くなると言いますか、力が弱くなると言いますか、あるいは知覚麻痺、そういうものがある程度出る場合もあるし、いずれにしてもその麻痺がある程度出るのは致し方ないということになりますが、その麻痺がその後一体どうなるかということになりますが、今申し上げましたように脊髄そのものの病変がどういうふうになつているかにもよるんですけれども、周りの手術侵襲により周りからの圧迫、主に出血なんですけれども、それは出血しますと、それがその場所である程度非常に固まるわけですね。これは生理的に固まるわけですけれども、その一応固まつたのがその後で今度はだんだん吸収されて来るという経過をたどるわけですけれども、したがつて、圧迫されている間は麻痺の可能性があると、ところがそれがだんだん吸収されて来ると、その脊髄に対する圧迫がだんだん取れて来て、したがつて臨床的にも麻痺そのものもだんだん取れて来るんだということになるわけです。そういうことに。したがつて実際に外から見た場合には、初め動かなかつたのがだんだん動いて来ると、それから知覚も鈍いのがだんだん取れて来るというようなことになつて、それが普通私共考えているのは、出血してその出血がすつかり止まつて、そして、だんだん吸収され始めるまでに、大体やはり一週間位は見ているわけです。その後だんだんよくなつて来ると言いますか、麻痺が出血して固くなつたのが吸収されて行つて、大体、普通に戻るのが約一ケ月位は私達は見ています。したがつて脊髄そのものに何にもないと言いますか本当の正常の状態であれば、人体一ケ月位すれば元の状態に戻るのが普通の状態だと思います。ただこの場合に脊髄そのものの損傷の程度によるんですけれども、脊髄腫瘍だとかあるいは炎症みたいなものがあつて、脊髄そのものがある程度やられてしまつているという場合には、勿論そういうような普通に経過したのではなくて、非常に長くなつたり、あるいは途中までいつてあと回復してこないという場合もありうるわけです。」

と供述し、また原告善勝の麻痺が回復しなかつた原因に関しては、

「これは手術後、ずつと経過、特に一ケ月位までの経過を見ておりますと、確かに今お話があつた一九日あるいは二〇日頃までの間は少しずつ回復して来ている傾向があります。これは勿論手術の影響も取れて来たんだというふうに考えられるんですけれども、ただ普通であれば、先程話しましたように大体一ケ月位見ていると、手術の影響というのはなくなる筈なんです。ところが、一ケ月位たつてもその麻痺の程度が回復して来ないということは、その経過とそれから手術時の所見と申しますのは、脊髄そのものの特に後側の方にいろんな所見があつたんだということ、それから脊髄の前の方にも嚢腫様のものが、そういうものがあつたんだというようなことですね。」

「……。推測しかないんですけれども、私が考えているのは、確かに脊髄の前にあつた腫瘍そのものはなくなつている筈です。それから後の方がどういうのかといろいろ考えて見ますと、やはり脊髄自身に何か病変があつたんじやないかということですね。その病変が一体何であるかということになりますと、脊髄自身の炎症でもいいし、あるいは脊髄自身の退行性の変化、そういうものがあつたんじやないかということを考えざるをえないわけです。そこにそういう変化があつた所にはやはり手術的な侵襲があつたということで、その脊髄自身に変化がなかつた場合よりも手術的な侵襲というのが大きく影響しているんじやないかというふうに考えるわけです。手術後その手術的な侵襲の影響も否定はできませんけれども、その脊髄自身の病変が更に悪化して行つたんじやないかと考えざるをえないわけです。で、もし、その脊髄そのものに何にもないとすれば、普通の経過をたどつて大体一ケ月位で元の状態になる筈ですけれども、それが見られなかつたということはそういうことを考えざるをえないというふうに思つております。」

と供述している。

しかしながら、〈証拠〉、鑑定人平林冽の鑑定の結果によれば、昭和四九年当時胸部椎間板ヘルニアに対する観血的治療としての椎弓切除術は、従来その予後が極めて不良(術前症状に比してむしろ悪化する虞が高い)で、術後、回復不能な完全横断麻痺となつたものが多かつたこと、その原因としては、本症が比較的稀な疾患で一般に熟知されておらず、症状が多彩なこととも相俟つて診断が遅れ、重篤な脊髄麻痺症状が完成するに至つてはじめて手術が行なわれる結果脊髄が既に不可逆的な変性に陥つている場合が多いことも否定できないが、遙かに重要なことは、本症が下部胸椎部に多発し、該部は脊椎の中でも特に脊椎管腔が狭く、その中に多数の神経根と腰膨大が密集して存在し手術的侵入が困難なうえに、腫瘤が前方正中部にあり、かつ石灰沈着、骨提を伴うことが多いことから、摘出操作によつて脊髄を損傷しやすいことにあることが従来指摘されていたことが認められ(原告善勝の本件手術前の症状が両下肢の軽いしびれ等程度の軽いものにとどまつていた反面、ヘルニアの部位が第九、一〇胸椎間のほぼ正中部にあつたことは前記認定のとおりである。)、本件手術におけるヘルニアの摘出は、本来これによる脊髄への不可逆的な侵襲(手術部位以下の完全麻痺)の危険を高度に伴う処置であつたと認められる。しかるところ、これまでの認定事実に照らせば、本件手術時に認められた原告善勝の脊髄硬膜及び脊髄表面の病変は、ヘルニア及びその上に形成されていた嚢腫を原因としていると考える方がより合理的であり(したがつて、脊髄に侵襲が加えられていなければ、嚢腫及びヘルニアを摘出したことにより右病変も次第に消失していくものと推認される。)、右病変自体も同原告の本件手術前の症状に照らすとさほど進行していたものとは認め難いこと、そして何よりも、本件手術直後から手術高位に一致して発生した手術前とは異なる高度の麻痺症状は、以後僅かに改善をみたものの程度的にも高位的にも増悪していないことに鑑みれば、前記の赤林証言はにわかに採用し難く、原告善勝の現在の麻痺症状は、前記のとおりヘルニア摘出の際、脊髄に不可逆的な侵襲が加えられたことによるものと認めるのが相当である(なお、前掲乙第二号証のカルテによれば、長谷川医師は、本件手術後二日目(昭和四九年一〇月二日)に原告善勝が全麻痺症状をきたしている旨赤林医長に報告したところ、同医長から脊髄をいじつているので回復するのに一週間程を要するであろうとの所見を示されたが、長谷川医師自身は同月五日頃の時点から同原告の麻痺の回復に不安を抱いていたこと、同月九日赤林医長が同原告を回診した際、同医長は、同原告の麻痺はそのうちとれてくる旨長谷川医師に告げたものの、この時点で、医局の多くの医師は同原告の麻痺はもう回復しないであろうとの見解に立つていて、前記の赤林証言とは異なる認識にあつたことが認められるのであつて、同原告の本件手術後の麻痺の原因については、長谷川医師をはじめ医局の多くの医師達がむしろ前記認定と同様、本件手術により原告善勝の脊髄に不可逆的な侵襲が加えられたものとの認識を抱いていたことを窺わせる。)。

なお、前記のとおり、原告善勝の本件手術後の麻痺は、術後一ヶ月程度の間に若干の改善があつたことが認められるのであるが、前記鑑定の結果によれば、同原告にみられたような、手術直後に最も高度であつた弛緩性の麻痺が徐々に知覚障害から改善し始め、やがて運動障害にも回復がみられ、次第に痙性麻痺に移行していくといつた過程は、外傷性脊髄損傷などにおいて脊髄浮腫などの可逆性変化にとどまつていた部分が回復していく際に最もしばしばみられるパターンと軌を一にしているものといえることが認められるから(したがつて、本件手術によつて脊髄に生じた損傷のうち、可逆性の部分は回復したものの、非可逆性の部分が麻痺として後遺していると理解される。)、同原告の症状の一部改善の事実が因果関係に関する前記認定を左右するものではない。

六以上の認定事実及び判断を基礎に、以下被告の責任について判断する(なお、原告らは債務不履行による責任と不法行為による責任を選択的に主張するので、便宜不法行為責任から検討する。)。

1  赤林医長らが原告善勝の疾病につき、同原告の本件手術前の症状及び諸検査の結果から第九、一〇胸椎部の脊髄前方に腫瘍の存在を疑い、その摘出を目的として椎弓切除法により同原告の脊髄周辺を探査したところ、腫瘍の存在は認めなかつたかわりに、胸椎第九、一〇番の高さのほぼ正中部で椎間板が膨隆(ヘルニア)しこれが脊髄を圧迫しているのを確認したことから、右膨隆部にメスを入れ、更に右膨隆物を摘出(ヘルニア摘出手術)したことは前記認定のとおりである。

2  そこで、原告らは、赤林医長、長谷川医師は、本件手術前に各種検査を適切に行なわなかつたため、原告善勝の疾病が胸部椎間板ヘルニアであるのに全くこれを疑わず脊髄腫瘍疑と誤信し、本来ヘルニアには不適切な本件手術を施行した過失があるとまず主張する。

しかしながら、これまでの認定事実に、〈証拠〉を総合すれば、赤林医長及び長谷川医師が、原告善勝の臨床所見及び都合四回にわたる脊髄造影検査等の各種検査の結果を総合して、同原告の第九、一〇番の椎間板の高さに脊髄腫瘍の存在を疑つたこと自体は極めて合理的な判断であるとみられること、ただ比較的稀な疾患ではあるが、中部胸椎の正中線付近にヘルニアが発生し、これが脊髄を圧迫した場合も脊髄腫瘍と本質的に同じ症状を呈することから、右臨床所見と検査結果からは直ちに右ヘルニアの可能性までをも否定することはできなかつたこと、右両者の鑑別方法としては脊髄造影検査が有力かつ最終的なものとされていたが(昭和四九年当時脊髄造影検査のほかにディスコグラフィー(椎間板造影)による鑑別検査法が一部の医師から提唱されてはいたものの検査方法としては未だ一般化していなかつた。)、これによつても両者の鑑別は非常に困難で手術により初めて確認に至ることも多かつたことの各事実が認められ、他方、長谷川医師がどこまで右両疾病の鑑別に意を注いで脊髄造影検査を実施したかは証拠上必ずしも明らかではないが、長谷川医師は最終的に都合四回にわたる脊髄造影検査を実施しており、その検査結果からは本件手術前に原告の疾病が胸部椎間板ヘルニアと判定できたとの事実を認めさせるに足りるまでの証拠はなく、また鑑定人平林冽の鑑定の結果によれば、脊髄腫瘍には良性のものが多いとはいつても、ほとんどのものが腫瘍性に増大し、その場合にはやがて歩けなくなる程に麻痺が進行する可能性も大きいことから、たとえ脊髄腫瘍と診断された時点では麻痺が軽く進行がそれ程急速でなくとも、その時点で手術の適応となることは医学上の常識となつていることが認められるのである。したがつて、赤林医長及び長谷川医師が原告の疾病につき比較的稀な症例である椎間板ヘルニアの疑いを払拭していなかつたとしても、各種検査の結果から脊髄腫瘍の存在を合理的に疑つた以上、右腫瘍の早期摘出を目的として本件手術に着手したことは充分相当な措置といいうるものであり、この点において両医師の過失は到底認め難い。

3  次に、原告らは、本件手術前の諸検査の結果により原告善勝に認められた脊髄圧迫物は脊髄の前方(腹側)にあることが確認されていたにもかかわらず、赤林医長らは、より脊髄に対する侵襲への危険度の高い椎弓切除法を採用した過失がある旨主張する。

しかしながら、鑑定人平林冽の鑑定の結果によれば、胸椎部の腫瘍摘出手術については、椎弓切除による後方進入法によるのが一般とされていたことが認められるから、この点についても赤林医長らの処置に過失は認め難く、右主張は採用しえないものである(なお、同鑑定書によれば、本件手術当時、胸部椎間板ヘルニアに対するより危険度の少ない手術方法として、原告らの主張する前方進入法を採用する医師が存在していた(少数ではあるが)事実は認められるものの、〈証拠〉によれば、右手術方法の選択はあくまでも手術前に当該疾病がヘルニアであることが確診された場合を前提とすることが認められるのであつて、本件のように手術前の検査等の結果として腫瘍の存在が強く疑われ、ヘルニアであるとの確診までは得られなかつたような場合(右確診を得なかつたことにつき赤林医長らに過失を認められないことは前記のとおり。)には、そもそも同手術法は採用の余地のないものと認められる。)。

4  そこで次に、原告らの主張する本件手術の中止義務について検討する。

〈証拠〉を総合すれば、胸部の椎間板ヘルニア症は腫瘍のように必ずしも症状が一方的に増悪傾向をたどるとは限らないが、その完治は手術によるヘルニアの摘出によるしか期待できないことが認められる。しかしながら、右のように完治に期待がかけられるヘルニア摘出術も、昭和四九年当時、椎弓切除法(後方進入法)によるヘルニア摘出は、当該病巣部への手術的侵入が極めて困難なこと等から手術中脊髄に不可逆的な侵襲を加える危険が多く、術前に比してむしろその症状を悪化させる虞が高いことも知られていたことは前記認定のとおりであるから(なお、(臨床雑誌「整形外科」の一九七六年一〇月増大号に掲載された医師長島健治外三名による胸椎椎間板ヘルニアの自験例及び症例の検討報告)には、右のような手術中の脊髄侵襲の危険への対応として、本症は「完全な剔出によつてのみ治癒が期待できるので、脊髄の変化が少なくヘルニアが球形を呈して軟らかい場合には注意深く剔出を行なうが、脊髄に変化性や壊死がみられる場合には、たとえ麻痺が高度でなくとも剔出をあきらめること」との指摘がなされている。)、本件手術の執刀医たる赤林医長は、医師として、原告善勝の疾病が胸部椎間板ヘルニアであることを確認した時点で、ヘルニア摘出術の危険性をまず念頭に置き、患者の現症状、同症状の進行の模様、病巣たるヘルニアの位置、大きさ、更には脊髄の変性の有無等を充分考慮したうえでヘルニア摘出の適否を慎重に判断すべき注意義務を負つていたものと解するのが相当である。

しかるところ、そもそも本件手術は、原告善勝に脊髄腫瘍を疑い、その摘出を目的として施行されたものであることは前記認定のとおりであつて、赤林医長らが比較的稀な疾患とされる胸部椎間板ヘルニアの可能性を疑い、これを前提に前記諸要素を勘案したうえでヘルニア摘出の適否を検討していたとまでの事実を窺わせるものは証拠上全くないところ、同原告の本件手術前の麻痺の程度はそれ程高度のものでなく、入院後においても症状の進行は九月一〇日以降格別認められなかつた反面、同原告のヘルニア塊は脊髄のほぼ正中部にあり、しかも該部の脊髄表面の血管は怒張、蛇行して浮腫状に感じる程変性していたため、ヘルニアを摘出する際、脊髄に対して不可逆的な侵襲を加えやすい状態にあつたことは前記認定のとおりである。そうすると、赤林医長が、原告善勝の疾病が胸椎椎間板ヘルニアであることを確認した時点で、ヘルニア摘出手術の危険性をまず念頭に置き、同原告の術前症状等を充分考慮して、当初意図した手術目的とは異なるヘルニア摘出手術の適否を慎重に判断したならば、この時点でのヘルニア摘出はむしろ回避すべきで、治療方法として暫くは症状の進展を見守りながらの保存的療法を選択した筈であると考えるのがむしろ合理的といわざるをえないのであつて、本件手術におけるヘルニア摘出の合理性につき被告から特段の主張立証のなされていない本件においては、赤林医長は原告善勝にヘルニアの存することを確認した時点でその摘出の適否についての慎重な判断を怠り、本来中止すべき本件手術を安易に続行してヘルニアの摘出に及び、その結果充分予測しえた脊髄への不可逆的な侵襲(損傷)を招来せしめた過失があると認めるのが相当である。

そして、これまで認定した事実によれば、赤林医長による右ヘルニアの摘出が被告の事業の執行としてなされたことは明らかであるから、同医長の使用者たる被告は、民法七一五条により、原告らが被つた後記の各損害を賠償すべき義務があることとなる。

5  なお、原告らは、本件手術の施行中、赤林医長らには不適切な手術操作ないしは手術操作の誤りがあり、これにより原告善勝の脊髄に侵襲が加えられた旨を主張するが、本件におけるヘルニア摘出手術が本来脊髄への不可逆的な侵襲の虞を高度に伴うものであつたことはこれまで認定してきたとおりであるけれども、本件手術における赤林医長らの手術操作のうちに、当時の医療水準に照らし欠けるところがあつたとの事実を認めさせるに足りる証拠は何ら存しないから、右主張は採用しえないものである。

七原告らの損害

1  原告善勝の逸失利益及び付添費の算定不能

原告善勝の本人尋問の結果によれば、原告善勝は、本件手術当時水産物仲卸業を目的とする株式会社丸新水産で専務取締役として稼働していたことが認められるが、胸部椎間板ヘルニア症に関するこれまでの認定事実に、〈証拠〉を総合すれば、胸部椎間板ヘルニアは、腫瘍のように常に対麻痺を増大させるものではないが、ヘルニアの摘出によつてのみ完治が期待され、他方ヘルニアが残存する限り、これが一定のヘルニア塊にとどまつていたとしても、脊髄を圧迫し続ける以上脊髄の損傷性変化を進行させ、軽い対麻痺を次第に増悪させていく可能性が高く、しかも対麻痺の進行が最終的にどの程度高度な段階に至るかについても断定できないことが認められる。したがつて、仮に本件手術においてヘルニアの摘出が行なわれなかつたとしても、原告善勝の症状は、本件手術直後から発生したような全麻痺状態に直ちに陥るようなことはなかつたであろうと言いうるのみで、それ以上に、いつまで同原告が従来と同様の生活を営み、稼働しえたかを推測することは極めて困難といわざるをえず、他にこれを確定しうるだけの証拠もない。

結局、本件にあつては、同原告の請求する逸失利益及び付添費は、これを具体的に算定し、認容することの困難なものであり、これらは、後記慰藉料認定の際の事情として考慮するにとどめるのが相当である。

2  原告らの慰藉料

原告善勝は、本件手術当時満三五才で、原告善勝の本人尋問の結果によれば、原告ら家族の支柱として円満な家庭を築いてきたことが認められるところ、前記認定のとおり、同原告の現在の症状は身体障害者福祉法別表(8)障害の第一級に該当する重篤なもので、今後の生活には原告ら家族に尋常を超える努力と犠牲を求めざるをえない障害であること、しかも、同原告の現症状は、手術前の軽度の麻痺症状が本件手術により一挙に増悪し、以後ひたすら回復を願いつつ焦慮と苦渋のなかで治療を続けた結果としてのものであるだけに、これにより、原告善勝はもとよりのこと、原告ら家族も、同原告の生命が失われたにも比肩すべき精神的苦痛を受けていると推測するに難くないこと、更に原告善勝については本件手術による財産的な損害を数額として具体的に確定できないことをも併せ考え、他方、認定された被告側の過失の内容や原告善勝が損益相殺として主張している事情その他諸般の事情に鑑みると、原告らの慰藉料として、原告善勝につき金一〇〇〇万円、同かつゑについては金二〇〇万円、同善則、同勝章については各金一〇〇万円を認めるのが相当である。

3  弁護士費用

本件記録によれば、原告らは本件訴訟の追行を弁護士に委任したことが認められる。そこで、事案の難易、訴訟の経過等諸般の事情に鑑み、各原告につき、認容された慰藉料額の各一〇パーセント相当額を相当因果関係にある損害として認めるのが相当である。

八以上によれば、原告らの被告に対する各請求は、原告善勝につき金一一〇〇万円とこれに対する昭和四九年九月三〇日(本件不法行為の日)から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告かつゑにつき金二二〇万円と右同期間、同割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告善則、同勝章につき各金一一〇万円と右同期間、同割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、これを超える部分は失当として棄却すべきこととなる。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言の申立については相当でないからこれを却下して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官武田平次郎 裁判官光前幸一 裁判官大門 匡)

逸失利益計算表〈省略〉

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